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2020年9月24日 (木)

小栗栖、明智光秀 終焉の地

 “まいまい京都”の「明智光秀・最期の謎!歴史研究者とたどる、戦国時代の小栗栖」ツアー
は、京都地下鉄石田駅に9:30集合。京阪特急と中書島からの宇治線を乗り継いで六地蔵駅ま
で来れば、徒歩連絡10分弱の地下鉄六地蔵駅の次が石田駅です。

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          改札前でコースの説明を聞いた後、さあ出発です。

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 山科(やましな)川に出ました。正面が比叡山。光秀は、その向こうの坂本城を目指していた
んでしょうな。川を渡ると小栗栖(おぐりす)。その頃は、田圃と竹藪が続いていたそうな。

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 山科川に並行する旧街道跡と思しき細道。ここ、山科川旧堤防の道ではなかったか。

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          小栗栖街道。ここに停まる京阪バスは、大体30分毎。

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 小栗栖(おぐるす)城址。天守閣があるような城ではなく、地形を利用した小城で土豪飯田氏
の居城。後ろのこんもりしたところが城址。許可を得てあり、私有地の城址にのぼります。

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 とは云っても、直登はかなわず、左手から大きく邸宅の間を迂回し、細い階段を登ります。

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 マルチで覆われているところが既に城郭の一部とされ、更に2mほど高くなった先に台地が
広がっていて、そこが曲輪の中心ですが、そこへの急な段差をよじ登るのがひと苦労。        

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 凄い竹藪だったのを、半年前に刈ったそうで、広々として、なかなかの見晴らしです。
山科川の舟運と小栗栖街道の監視には、もってこいの場所に思えました。  
P1070326

 北西側にだけは、“横堀”をの痕跡が残っていて、敵の侵入を遅らせる工夫がしてありました。

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 “横堀”は、堀の代わりに坂の途中にV字谷を設えておくものですが、判別しづらかったです。
          
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          次に向かったのは、光秀が通ったであろう竹藪の中の道、
         “明智越え”です。途中に湧き水 “弘法大師の杖の水”があり
         休憩所が設けられていました。

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 「明智越え」は、そうかも知れないと思わせる山路ですが、そもそも、敗走する光秀らが、
夜間、雨の山中をどう歩いたかは不詳。ここ、小栗栖を通ったと云うのも、信長近臣であった
と云う飯田一党の居城の足許を通ることになる訳で、不可解ではあります。

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                          (クリックすると拡大します)

         次回、光秀が討たれたと云う「明智藪」へ続きます。

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コメント

こんばんは!
最近、大河ドラマの影響で明智光秀ブームですからねぇ。
こないだまでの悪人が、今は「公」を付けて呼ばれています。
この続きが楽しみです。

FUJIKAZEさん

 確かに“反逆者”とか、“三日天下”とか云われますが、領民からの評価は高かった
とのことらしいです。「光秀公のまち亀岡」と“公”をつけたPRもなされていますね。
ゆかりの地がアチコチにあるので、ネタに困った時には助かります。

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