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2020年8月31日 (月)

信貴山登山鉄道の“攻防” ①

 幼き頃、“北浜の運動会”で、しばしば、枚方公園か信貴山に連れていかれたものです。
そのころの信貴山は、1937(昭和32)年まで、東側からのルートしかなく、近鉄生駒駅か国鉄
関西線王寺駅から信貴生駒電鉄(のちに近鉄生駒線)のボロい電車に乗換て、信貴山下駅
からケーブルカーに乗ったものです。結構、押し合い圧し合いだった記憶があります。

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                          (三郷北小学校から移設、信貴山下駅前で静態保存中の9型ケーブルカー) 

         大阪と奈良の府県境をなす生駒連山の南側に続く信貴山は、古く
        から毘沙門天王信仰の霊山と知られ、参詣客を見込んだ鉄道会社が、
        早くから、覇権を争ってきたそうです。
         現在の近鉄生駒線は、1964(昭和39)年まで信貴生駒電鉄でした。
        この会社は京阪系と云われ、1922(大正11)年に王寺~山下(のちに
        信貴山下)の鉄道線と山下~信貴山の鋼索線を開通させ、5年後には、
        王寺~生駒間が全通。その直後には枚方東口~私市(きさいち)間も
        開通させました。しかし私市~生駒は進展がないまま、交野(かたの)
        電気鉄道に事業譲渡され、のちに京阪交野線となりました。 

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          これに対して、大阪電気軌道(近鉄の前身)は、生駒駅から信貴山
        への乗客の奪還を目指し、大阪直結ルートとなる“西ルート”建設を
        進め、1930(昭和5)年に河内山本~信貴山口の信貴線と信貴山口~
        高安山の鋼索線、高安山~信貴山門の山上鉄道線を開業、上本町~
        信貴山門間を40分で結ぶ新路線でした。
         尤も、この西ルートは、戦時中に不要不急路線として消滅、1957
        (昭和32)年の信貴山朝護孫子寺新本堂落慶に合せて鋼索線を復旧
        させましたが、山上鉄道線は、専用自動車道に改修、直営バスが運
        行されました。現在、西ケーブルと信貴山門への連絡バスは40分毎
        の運行となっていて、今や、お荷物路線なんでしょうね。

 JR王寺駅からの生駒行電車が信貴山下駅に入線してきました。南生駒までは、単線区間です。

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 王寺からの電車が信貴山下駅に着くと、ケーブル乗場に直結していました。この改札を出た
あたりに、ケーブル乗場があったと思います。駅前の緩い坂道は、かつてのケーブル線路跡を
道路化したもので、現在は、奈良交通のバスが、エンジンをふかして登り降りしています。

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           東信貴鋼索線は、1983(昭和58)年に廃止されています。
          生駒、強羅に次いで国内3つ目のケーブルでした。近鉄が
          自ら敷設したものではなく、1957(昭和32)年に西ケーブル
          を意地で復活したこともあり、多少不便でも、西ルートを
          残したのには、歴史的な拘りがあったと思えてなりません。

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 現在の信貴山下駅前。保存ケーブルカーは、右奥の広場に置いてありました。今年3月までは、
地元、奈良県三郷町の三郷北小学校にて保存されていました。

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 旧東信貴鋼索線コ9型車両は、地元奈良県三郷町指定有形文化財に指定されています。

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 途中まで信貴山門行のバスに乗り、ケーブル廃線跡へ向かうことにしました。

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 左側がケーブルカーの線路跡を道路化したところです。 

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          信貴山門へのバスを万葉荘園で下車。

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          ケーブル廃線跡コースへ向かいました。

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 バス道から階段を降って、ケーブル跡遊歩道を進みます。日陰やけど、虫がまといつく。

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 ケーブル信貴山駅跡に近づくと、コンクリブロックで舗装されていました。

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  てっぺんから見降ろすと、こうなっていました。こっちから下ればよかったな。シンド。

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 旧ケーブル信貴山駅前は、信貴山バス停となり、大きな広場になっていました。しかし、
ここは、旧ケーブルの信貴山駅跡と云うだけで、信貴山朝護孫子寺へは距離があり、最寄り
のバス停は、次の信貴大橋です。その先の終点(信貴山門)は、近鉄バスと共用ですが、接続
は配慮されていません。(奈良交通が60分毎、近鉄は40分毎)
     
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 バス停の傍らには、信貴山毘沙門天の“ようおまいり”看板が設えてありました。

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 いまもある信貴山温泉郷の旧旅館。右の“みよし”は、かつて三好館と云い、前職での忘年会
を10年続けたところ。覗いてみたら、女将さんが社名を覚えていてくれました。OB会するか?

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 続きます。次回は、信貴山そのものをルポ、次に、西ケーブル方面の予定です。

 (参考資料=近鉄HP「近鉄資料館」路線の履歴書)                                 
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コメント

東信貴鋼索線はこのようなところにあったのですね。存在はしっていましたが、早々に廃線になってしまい、乗ることはできませんでした。
やはりまっすぐな坂ですね。気持ちがいいです。

こってうしさん、こんばんは。

 信貴山は、車でも行けますので、是非、お出掛けください。
信貴山下からのバスで、万葉荘園で降りた先のT字路から少し
階段を下ると、ケーブル廃線跡経由で信貴山バス停(旧ケーブル信貴山)
に行けるのですが、ここで坂を下ると云うのがピンときませんでした。

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