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2020年4月 6日 (月)

南海高野線 #秘境駅 と“泊まれる駅”③

《 “泊まれる駅”周辺、森林鉄道跡などをあるく 》(前半)

 “泊まれる駅”「高野下駅」の #駅舎ホテル。 真下の町道は、森林鉄道の軌道跡です。

P1040036

 駅の階段には、昔の資料写真が展示されていました。今と変わらぬ昭和初期の「高野下駅」。

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           (提供協力=唯見静子様/駅の展示を撮影)                
 
 明治末期には「高野索道」が椎出~高野山大門間に開設され、木材や生活物資の輸送に活躍
したそうです。簡易な搬器のロープウェイです。イタリア製で、昭和35(1960)年に高野山有料
道路が開通するまで、49年間も運行しましたが、残っているのは支柱の痕跡のみらしい。
              
         P1040380
          (提供協力=高野山大学「高野山大観」/駅の展示を撮影)                

 大正14(1925)年の南海高野線難波~高野下駅(当初は高野山駅)開業に際し、高野下駅前の
椎出(しいで)~極楽橋間に開業した「高野参詣自動車」は、自前の専用道路を持っていました。
イタリア製の自動車3台で、月に3万人を運び、昭和16(1941)年まで運行したとのこと。

          P1040378
           (提供協力=高野山大学「高野山大観」/駅の展示を撮影)                  

 “駅舎ホテル”に備え付けられていた「椎出周辺ガイドマップ」を持って、出発!

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          まずは「高野山参詣自動車」の専用道路跡です。駅前の
         不動谷川を渡り、国道370号を東へ進みます。

         P1040395        

         高野線のガードをくぐります。         

         P1040398

 その50mほど先で、山へ入る町道が枝分かれしていました。地図で見るとこれが、そうらしい。

P1040420

 当時、幅員4.5mの道路だったとか、案外狭い道だったようです。「高野参詣自動車会社」は、
7kmほどの自社専用道路を持つ、日本初の乗合自動車会社だったそうで、高野下駅~極楽橋の
鉄道開通までの間は、大いに活躍したんでしょうな。神出~極楽橋の所要25分だったそうです。

P1040404

 町道は、この先、神谷(極楽橋付近)まで続いていますが、この辺までで、バックします。

P1040406

 高野下駅近くまで戻ると、丁度、極楽橋行の電車が出て行くところでした。

P1040415

 高野下駅前に戻り、再スタート。今度は「高野山森林鉄道」の軌道跡です。

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 “駅舎ホテル”の下をくぐる この町道が「高野山森林鉄道」の軌道敷跡です。

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 森林鉄道の軌道敷跡からは、トンネルに入ってゆく橋本行電車が間近です。

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 その下方です。「森林鉄道跡」は、あくまで不動谷川に沿っています。ここらでバックです。

P1040222

 高野下駅前への戻り道、橋本行電車が出て行くところでした。

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 次回は「高野下駅」から、高野山森林鉄道の軌道跡を逆方向(北東)へ歩きます。


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鉄道・廃線遺構」カテゴリの記事

コメント

毎回興味深い内容で楽しませていただいてます。

バスならぬ自動車専用道路ってあったのですね。当時の高野山の位置づけ(偉大さ)がわかるような気がします。

高野山森林鉄道の跡は、分かりやすそうですね。地図を見るとしっかり川に沿って敷設されてたと推測できます。昔はこのようなところを木をいっぱい乗せた列車が入っていたのでしょうね。もう少し先を見てみたかったです。(^.^)


こってうしさん、いつもありがとうございます。

 かつての鉄道は、物見遊山と云うか、信仰の対象地へのアクセスを狙って敷設
されることが多かったんですね。比較的近くの高野山や信貴山、吉野に例を見る
ことが出来るようです。
 高野山は、鉄道、乗合自動車、索道、ロープウェイ、ケーブルカー、有料道路と
色んなアプローチがあったと云われています。中でも、京阪の傘下にあった和歌山水力が
高野下~極楽橋の鉄道免許を持っていた時期があって、それを買い戻した南海が
高野山電気鉄道を設立して工事を進めたんやそうです。

 高野山森林鉄道の軌道跡は、町道に転用されている部分の他は、荒廃していると
の報告を目にします。でも、高野山の一の橋から奥の院への参道で見掛けた、不自然な
橋台のようなのが、実は森林鉄道の遺構であるらしいのです。次の楽しみです。

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