2024年5月16日 (木)

難読地名の「雁多尾畑」探訪➋

  さて、難読地名の邑落、断崖に張り付くように広がっている「かりんどおばた」の探訪です。
まず、「光徳寺」の山門をくぐった先には、京の寺院のような光景が広がっていました。

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 昔の堂宇の遺構でしょうか。何度も戦火で焼失し、再建されてきた歴史を感じさせられます。

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 山門に戻りました。かつては300町もあった寺域も、織田信長に没収されて、いまは狭いです。

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 「松谷光徳寺」の石段の向いにある建物も、立派な構えのお屋敷でした。庄屋だったのかな。

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 坂が急なので、上り下りとも膝に堪えます。

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 見晴らしのよいところに出ました。傾斜地では、“河内ぶどう” の栽培が盛んなようです。そう
云えば、子供たちが小さいころ、柏原の駅前から軽トラで送ってもらってぶどう狩りに来たのは、
このあたりやったんかな。結構、遠かったような記憶があります。“河内ワイン”もありましたね。
一升瓶で販売されていて、多くは、醸造用アルコールとしてS社(寿屋)に供給されていたとか。

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  光徳寺からの坂道を登り切ったところに
 避難所を兼ねた立派な「雁多尾畑会館」
 がありました。

   その向い側には、消防団の詰所もあり、
 地域の防災拠点になっているようです。   

 

 

 大和川を見降ろすビューポイントですが、この日は、黄砂が酷く、霞んでいました。 

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 このあたりで一番高いとところに「竜田古道の里公園」と云うのが見え、BBQを楽しむ人達の
歓声が聞こえてきましたが、管理事務所に人の気配がなく、自販機で飲み物を買っただけです。

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 里山公園の看板に並んだ「土砂災害警戒区域」の現地表示板を見ると、ここは、あの地すべり
地帯「亀の瀬」の真上にあたる場所なんですな。(下図はクリックで拡大します)

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  奈良側から来た車には、引き返せとの指示。
 まあ、酷道308号の大阪側よりはずっとマシか
 と思いますが、その方が無難でしょうね。
  南太郎もボチボチ下りに掛かろうと思います。
 バス道沿いに進んだ先で、三叉路を左にとれば、
 JR河内堅上駅に出られるはずです。途中、二三
 の史跡を見て、どっかで昼にしましょうか。

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 「地下(じげ)町青年団こども会」太鼓台地車収納庫とあります。地下町と云うのは、社寺の庇護
を受けた町と云う意味らしく、このあと見に行く神社(金山彦/金山媛神社)の氏子の町なんでしょ
うな。傍らには、「御輿台」も設えられていました。ダンジリのことを“太鼓台”と呼ぶのは、吉野
とかでも聞いたことがありますが、一見、岸和田のダンジリと変わらなかったと思います。

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 まあ云うても、急坂ですよ。断崖にこれだけの建物が密集しているは、なんでなんでしょうね。

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 この階段を上がったところに「教育発祥の地」と云う碑がありましたが、由緒は謎っぽいです。
あとで調べたところ、この石碑、もとは、市内で初めて学校が置かれたと云う青谷寺(せいこくじ)
あったものではないでしょうか? なんで、ここにあるのでしょうね。

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 「雁多尾畑(かりんどおばた)」の風景は、この一葉に集約されるのではないでしょうか。なぜ
このような光景になったのか、疑問ふつふつのなかで、邑落のなかの狭い急坂を下りました。 

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  次回につづきます。

2024年5月13日 (月)

難読「雁多尾畑」って どこかいな

 昨夏、近鉄道明寺線の取材中、大和川堤防の草叢に「松谷御堂」と記された曰くありげな石標を
見掛けました。あとで、それが2kmほど山手にある「松谷光徳寺」のことであり、「雁多尾畑」と
云う集落の中心にあることを知りました。かなりな急坂を上がった先らしく、暑い時季の訪問は見
送ることにましたが、この5月、「雁多尾畑」へ向かうべく、JR大和路線の高井田駅に来ました。

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 ありがたいことに、柏原市の市内循環バスが毎時1本「雁多尾畑」まで通っていて、それも無料
だと云うのです。国分駅前発ですが、JR高井田駅を経由しています。27人乗りの中型バスです。

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 上の地図は、高井田駅前に掲出の探訪マップから抜粋(加筆)。「雁多尾畑」は、かりんどおばた
と読みます。難読ですねぇ。急な坂道の途中、ゴミの集積場の横の三叉路の、ちょっと広くなった
場所がバスの終点です。一旦バックして、バス停に横付けです。折り返しの国分駅行になります。

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 狭くて急な邑中の路地を歩いて、まずは「松谷光徳寺」をめざします。遠足らしき一団に追い
かけられるようにして、坂道を進みますが、しんど過ぎますよ。

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 ちょっとした横筋に入った先に「松谷光徳寺」があるようです。建て込んだ石垣の間の路です。

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 折り重なるように続く、石垣と立派な屋敷を抜けたところに「松谷光徳寺」が見えてきました。

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 「松谷光徳寺」は、河内から大和の龍田大社への“龍田越え”の途中、雁多尾畑の集落に建つ堂々
とした構えのお寺でした。門前に掲げられた「松谷御堂の由緒」によると、円融法王の勅願による
開創と伝えられており、もとは天台宗の寺院だったが、延暦寺と興福寺の僧徒の争いのあおりを受
けて焼き払われてしまったそうです。

 その後、1228年に後堀河天皇の宣旨を以って、園城寺(三井寺)の僧が光徳寺として再興、本堂を
雁林堂(かりんどう)とし、親鸞の念仏宗に入って「松谷御堂」となり、一向専修の道場でもあって、
石山本願寺とも深く関わってきていたそうです。この「かりんどう」が地名の「かりんどおばた」
のもとになったらしいと云うことです。多分、「かりんどうのはた」でしょう。(はたって側の意味)

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 現在の本堂(雁林堂=かりんどう)は、昭和8(1771)年に再建されたもの。(↑ クリックで拡大)  

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2024年5月 9日 (木)

今年のシャクヤク

 今年は、ボタン(牡丹)がダメでした。昨年まで三輪咲いていたのが一輪で終わりました。
その代わりと云うか、隣に地植えしているシャクヤク(芍薬)は、まずまずの花でした。

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 晴れた日に白い花を撮るのは難しいので、雨模様の日を選んでカメラを構えました。柔らかい
光線が白い花の中の陰影を見せてくれます。

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 少し離れて咲く色違いの若い一本と重くて倒れた一本とを花瓶に挿してみました。

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P1530407  重い花は、雨に弱いので、ビニール傘をさしてやります。
  
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 ◆急に寒くなりました。今日は、久しぶりの出社日だった
 ので、厚手のズボンを出してもらい、薄手のセーターを羽
 織って出掛けました。帰りには、少し暑いくらいでした。 



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