2026年8月 6日 (木)

プランターのメロン収穫

 我が家のメロンは、ずっと “ころたん” です。ここ数年、失敗せずに収穫でき、家人にも好評
だからです。グリーンカーテンのゴーヤの代わりが最初で、深型プランターに1株ずつです。

Dscf5039

Img20260601183619

  受粉から45日と云うのが収穫予定日らしいので、推定でメモしておきます。楽しみです。

Img20260608150801
Img20260601183729Img20260608150750

 空中栽培なので、実が大きくなりはじめたら、ネットで支えをしてやらねばなりません。、

P1090944

 だいぶ大きくなりましたが、まだまだです。

Img20260608150739

 “ころたん” は、すこし茶色っぽくなって、ネットが出来てきます。

P1090939

 台風だと云うので、いそいそと収穫しました。あとは室内で熟成を待ちます。

Img20260720132224

 いゃ~上出来。4日連続で夕食のデザート。プチ贅沢。来年も “ころたん” のリクエストあり。

Img20260801124047Img20260801124114

 このあと翌週、もう4玉を収穫しましたので、さすがに3個を嫁入りさせました。


 にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へ   にほんブログ村   ブログランキング・にほんブログ村へ   (2026/6/10-7/30撮影)

 ご訪問ありがとうございます。上記のポチッといいね💛をよろしくお願いします

2026年8月 3日 (月)

「物集女車塚古墳」② 石室へ潜入

 さて、今回の一般公開の最終グループ5人の順番になりました。石室入口の前でレクチュア
を受けます。“畿内型” と云う6世紀前半以降に近畿地方で流行ったと云う横穴式石室です。

P1080998
P1090007

 玄室の空間は、西側に袖石(そでいし)を置き、均一な幅の長めの羨道(せんどう)があります。
次の写真が石室入口から中の方を写したものです。白い照明の奥の仕切られた奥の空間に
置かれた石棺が覗いています。天井は高く、屈まないで歩けました。

P1090011
P1090027
P1090017

 この石棺は「組合せ式家形石棺」と呼ばれ、二上山(奈良と大阪の境にある死火山)で採掘
された凝灰岩10枚の板材を組合せたもの。部材の側面には “縄掛け突起” があり、現状でも
石棺が赤く染まっているのが確認されます。この赤みには、ベンガラ(弁柄)と呼ぶ赤色顔料が
用いられ、より貴重品であった辰砂(水銀朱)でないことから、被葬者の地位が想像されます。

P1090014P1090022

 照明による仕切りの奥へは立ち入れないのですが、手前からで充分です。

P1090030

 上向きにカメラを構えました。天井部もしっかりとした石組みの天板が組み合わされています。

P1090032

 石棺内から発掘された副葬品の写真が掲出されていました。ガラス玉などの装身具、刀や
鞘、馬具と云った武具が納められていたそうです。日本書紀にある「弟国宮(おとくにのみや)」
に関連して、継体大王の擁立に寄与した有力者を葬ったようです。石棺の後、3人が木棺に
納められて追葬されているそうです。

P1090058P1090060
 
 石棺前から石室入口の方を振り返りました。長い羨道です。葬送の場でもあったんでしょう。

P1090042
P1090062

P1090064

   帰途、物集女街道を南下して阪急
  東向日駅へ向かう途中の街道脇に、
  たくさんの石仏を集めた祠がありま
  した。
   街道の拡幅工事とかで出土したの
  を集約されたんかな。もっと以前から
  のもんなんかな。



 阪急高槻市駅から京阪バスで枚方大橋を渡るとき、印象的な雲が輝いていました。

Img20260530182104

  にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ   にほんブログ村   ブログランキング・にほんブログ村へ   (2026/5/30 訪問)


 今日も ご訪問、ありがとうごさいます。上記のポチッといいね💛をよろしくお願いします 

2026年7月30日 (木)

「物集女車塚古墳」の石室へ ①

 京都府向日(むこう)市の物集女(もずめ)町にある前方後円墳「物集車塚古墳」は、物集女
街道に沿った住宅地の一画にありました。5月に石室公開の受付に応募、最終日の6月7日
にギリギリで参加できたんです。阪急電車東向日駅から北西へ歩いて20分ほどでした。

Img20260530154539
P1080940
P1080943P1080945

 「物集女車塚古墳」は古墳時代後期(6世紀中頃)の前方後円墳で、全長46m、墳丘の高さ9m
の比較的小振りな古墳です。西側から延びる尾根を利用して築かれ、淳和天皇の棺を運んだ
車を埋めたとの言い伝えから “車塚” とも呼ばれているそうです。大王に仕える地域の権力者
の墓と考えられ、この時代以降に流行したとされる横穴式石室(畿内型石室)を持っています。

 長い通路(羨道)と広い部屋(玄室)からなる横穴式石室では、玄室は被葬者への送りの儀式
の場であり、その後に近親者が亡くなると、その亡骸をも納めていたらしい。つまり複数の人物
を一つの場所に葬ることができる画期的なお墓であったそうです。

Img_20260531_0002cImg_20260531_0002b

 古墳の上に、印象的な一本の杉が立っています。奈良県高取町の「市尾墓山古墳」には
イロハモミジでしたが、規模と墳形と墳頂の一本の木が似通っているとの印象です。
 ですが、あちらは田圃の中の土盛りで、こちらは密集した住宅地にあるのが大違いです。

P1080954
P1080953
P1080958

 狭い石室なので、5人ずつ入るのですが、指定された集合時刻まで余裕だったので、古墳の
周囲(住宅の周回道路)を、南側から時計回りに歩いてみました。
 
P1080960
P1080962

 北側の前方部は、昭和元(1926)年の物集女街道の拡幅工事の際に一部が削られて擁壁に
なっていました。国指定史跡として整備されてはいますが、まぁ、しゃあないんでしょうね。

P1080971
P1080974P1080969
P1080982P1080981
P1080989P1080995

 集合時刻になりました。今年の「石室公開」最終班が石室への階段を上ります。(続きます)

Img_20260531_0001a   
  にほんブログ村 旅行ブログ ぶらり旅へ  ブログランキング・にほんブログ村へ
  にほんブログ村  (2026/5/30 訪問)


  ご訪問ありがとうございます。
  上記のポチッといいね💛をよろしく
  お願いします


«野崎観音 “千日まいり” ②

無料ブログはココログ
フォト
2026年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

ウェブページ