2020年11月30日 (月)

東福寺夜間拝観の紅葉

 京都/東福寺で、完全予約制の「夜間拝観」が実施されると云うので、行ってきました。

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 云うまでもなく、紅葉を愛でるのが目的ですが、ちょっと早かったかな? 手持ち撮影は辛い。

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          スマホで予約し、画面を提示して消印してもらう方式の
         チケットだったので、ジジイは不安で不安で堪らんかった。 
          JTB京都の仕切りですが、3,000円とるのに、ちょっと
         ハズレな気がしたけど、“不密”ではありました。         

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                                                                           PRリーフレットより
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2020年11月26日 (木)

「暗越奈良街道」を歩く ④

          さてさて、「暗越(くらがりごえ)奈良街道」の枚岡~布施を歩
         くと云う、自然堤防の連なりの痕跡を辿っての史跡ハイキング
         (鴻池新田会所主催)も終盤です。
                              クリックすると拡大します
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          Y字路の右手が旧街道で、左手は、村中への細道です。この
         史跡ハイキングでは、所々に立ち止まって解説を聞きます。

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          先頭を行く学芸員の別所先生。

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 第二寝屋川を渡ります。付替え前の旧大和川分流である旧楠根川を大改修して開削したもの。 

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 旧街道(暗越奈良街道)に面して残る植田家住宅。旧街道は、少~し高くなった位置を通って
行きます。この先は「御厨」です。

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 旧楠根川のたもとに「旧菱屋中顕彰碑」。菱屋三新田は、旧河床沿いに、東/中/西と細長く
開拓され、三井家の手に渡ったのち、藤戸家の所有となりましたが、「三井会所」があったこ
こにだけ残っていた「菱屋中」の地名が、平成2(2000)年の住居表示変更によって消失したの
を惜しんだもの。

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 「御厨(みくりや)」の村中を進むと、由緒ありげな家屋が目につきますなぁ。そもそも「御厨」
は、高貴な方の“台所”の意味で、伊勢神宮、賀茂神社や皇室へ魚や野菜を納める領地のこと。

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 行者堂の祠堂の中には、木彫の立派な役行者像が祀られています。奈良街道沿いに発展して
きた「御厨」は、明治期には付近の中心地で、明治14(1881)年には、この御厨会館の場所に、
八尾警察署御厨分署が設置され、当時の若江・渋川・茨田の三郡を管掌したそうです。

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 上部に石仏を彫った道標ですが、地元では「辻の地蔵さん」。左 大阪、右 なら いせ。

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          次第に自然堤防の痕跡を見つけるのが困難になってきました
         が、旧街道は、続いていました。もくもくと歩きました。

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          旧大和川の主流であったと云う長瀬川との交点には、大阪の
         高麗橋と放出(はなてん)停車場への道しるべ。

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          かつての長瀬川(旧大和川主流)は、川幅が200mもあったそう
         ですが、付替え後は、細い排水路として残っていました。

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 長瀬川(旧大和川主流)と暗越奈良街道とが交わる自然堤防上には、高井田地蔵(清水地蔵)。
地蔵菩薩の真言を梵字で彫った地蔵菩薩立像が祀られていました。その少し先に高井田墓地。
 
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 高井田墓地。やはり、周囲より高くなった土地に設けられています。ここも自然堤防の跡。

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          JRおおさか東線(旧城東貨物線)の高架が見えてきました。

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 角の家の壁には、「右手は通り抜け不可」の看板。旧街道は、左手に続いていました。                   

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  布施柳通りとの交差点の「歴史の道 暗峠越え 旧奈良街道」の碑に到着。今回のゴール‼

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          「暗越奈良街道」は、この先、玉造を経て高麗橋(北浜付近)へ
         通じていたそうです。ここまで、引率いただいた鴻池新田会所の
         別所先生、ありがとうございました。            

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          長々と お付き合い、ありがとうございました。今回のコースは、
         近鉄枚岡駅から布施駅まで、約11km、所要5時間ほどでした。 

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2020年11月23日 (月)

「暗越奈良街道」を歩く ③

 鴻池新田会所主催の史跡ハイキング「暗越奈良街道を歩く(枚岡~布施)」のつづきです。
花園ラグビー場前での弁当を済ませ、吉田の住宅街に入りました。低湿地の、江戸期に整備
される前の旧街道は、自然堤防の連なりに沿っていたであろうと、その痕跡を求めて進むと、
こんな狭い路地が抜けていました。狭いけど、つながっているのが凄いです。

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 自然堤防のヘリ(縁)を探して進むと、確かに段差の傍に路地が続いていました。いにしえの
旧街道は、こうした自然堤防の連なりを辿っていたはずです。それが今も形を残しています。

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 路地の先の融通念仏宗の西昌寺の前は、旧吉田村の交差点。こちらからの右折は、野崎道。

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         大阪側からの右折は、瓢箪山。ひょうたんの図で略しています。

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          自然堤防から少し低い位置に坐します吉田春日神社。最近では、
         “ラグビー神社”とも云われ、必勝祈願に訪れる人も多いとか。

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          段差が続きます。自然堤防のヘリ(縁)に沿って進みます。

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          自然堤防のヘリ(縁)に沿って進みます。十字路のところが微妙
         に盛り上がっていました。自然堤防の路との交差点でしょう。

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          稲葉地区の氏神様である稲葉神社も、自然堤防より低い位置に
         鎮座。室戸台風で全壊し、昭和40(1965)年に再興されたもの。
         ここも、もとは吉田春日神社の氏子だったそうです。

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 300年も昔に付け替えられ旧大和川の跡に拓かれた新田の一つ。流路だったところを開発した
新田なので、ここだけでなく、新喜多(しぎた)新田なども、細長い区域に名前が残っています。

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 「河内街道」に面した八剱神社の境内に集められている道路標柱。大阪だけでなく、瓢箪山や
生駒山中の鳴川など、いずれも右へ行くと、少し先で「暗越奈良街道」に交叉しているのです。

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 黄色の自然堤防の連なりに沿って歩いたのが、赤点線のコース。神社も連なっていました。

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                           リックすると拡大します(配布資料=昭和初期図=より抜粋/加工)。若江駅は 現在の若江岩田駅

 産業道路(国道308号)に出ました。東方向を見ると、生駒山のテレビ塔群が間近に見えます。

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          産業道路(国道308号)を北へ渡って、左手の旧街道を進みます。

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 旧菱江川跡を歩いて、荒本住宅団地の脇を抜けると、大阪中央環状線に行き当たりました。
旧河川敷の低湿地らしく、道路建設に伴う新家遺跡の調査では、500年前の「土嚢足場遺構」が
見つかっていて、旧街道(暗越奈良街道)でも、下図のような軟弱路対策が行われたんでしょう。

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          大阪府道中央環状線は、近畿自動車道を含む、幅の広い幹線
         道路ですが、昭和45(1970)年に大阪万博開催に合わせて開通し
         ましたが、土地が安かった低湿地を貫いているようです。

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          ここも歩道橋で渡るのですが、さすが、高速道(近畿道)部分で
         は、高架下をくぐります。

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           “中環”を渡ったあたり、旧村名でもあった「意岐部(おきべ)」を
         学校名などに残す「新家」には、懐かしい光景がありました。        

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          整備されても、やはり、段差は残っているものですね。

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 地域の守り神、菅原神社。秀吉に滅ぼされ各地に離散した紀州・根来衆の末裔(菱屋と称した)
が旧大和川分流の菱江川流域に、菱屋東・中・西の3新田を開発、菱屋新田とか新家新田と呼ば
れていたそうです。享保年間には、江戸の三井家に移管され、大正期には藤戸家の所有となって、
「藤戸新田」とも呼ばれたとか。そうそう意岐部小学校の近くに、藤戸小学校もありましたな。

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          新家の村中を進みます。僅かですが、ここにも自然堤防の段差
         のヘリ(縁)の痕跡が続いていました。

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         P1090141

         やっと御厨(みくりや)の近くまで来ました。あと一回、続きます。 

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