文化・芸術

2015年7月31日 (金)

京町家「錦上ル」で京文化体験

 7月24日夕方、京都文化協会が主催する、賛助会員限定の「夜の京文化体験」イベントに参加しました。
 錦市場商店街から麩屋町通りを北へ入ったところにある、大正時代の木造建築を改装したと云う、京の食文化・伝統文化体験施設、「京町家 錦上ル」が会場です。


  
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  プログラムの1つ目は、伝統工芸士、尾崎武司先生による友禅の絵付け実演です。 

    

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  琳派模様の手描き・・・。

  
  
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  次は、キヤノンの超高精細カメラとプリンターを使って複製制作したと云う、クリア美術館(ワシントン)秘蔵の屏風画の解説付き観賞です。

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 琳派や若冲(錦市場の八百屋さんだったとか)などの作品の複製。  


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  「京町家 錦上ル」の2階には、又吉直樹(寝屋川市出身)選による書籍試読スペースが設えてありました。芥川賞決定の3日前に出来たんやそうです。


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  いよいよ、このあとは、錦市場の食材を使った和食料理で、ちょっと贅沢な晩餐です。


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   食事半ばで、複製文化財の解説付き観賞が続きます。

   
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  再び、複製屏風が並べられました。

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  さて、この屏風を、昔のように、行灯の明りで観賞してみようと云うのです。


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 金泥が反射して、なんとも云えない趣きです・・・。


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  錦市場の京漬物すし
  
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  デザートは、わらび餅

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  追加で頼んだ「煎」と云う名の珈琲。AGFが和食に合う珈琲として開発し、「京町家 錦上ル」にて、先行販売中とのこと(税別350円)。さっきの“又吉試読スペース”は、AGFがスポンサーのようです。
  

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  夜8時過ぎには終わるはずでしたが、気がつくと10時近くなっていました。色々とプログラムが沢山あって、充実した祇園祭の後祭りの夜でした。賛助会員になっててよかった。 


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2015年2月 9日 (月)

特別公開の霊源院 <一休禅師の足跡 ⑮>

 第49回 “京の冬の旅”(~3/18まで)では、14ヶ寺の非公開文化財が特別公開されています。そのひとつ、建仁寺塔頭寺院、「霊源院」は、鎌倉末期から室町時代に栄えた五山文学(漢文学)の最高峰の寺院の一つだったそうです。



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  室町時代の「霊源院」には、漢詩に優れた臨済宗の僧、慕哲龍攀(ぼてつりゅうはん)が住まいしていて、幼い一休禅師(この頃の名は周建)もここで、作詩を学んだそうです。



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  平成の修理を終えた、玉眼がはめ込まれ、表情豊かな「中厳円月(ちゅうがんえんげつ)坐像」と、その胎内から発見された「毘沙門天立像」などのほか、多くの寺宝と、現代絵画の屏風画が展示されていましたが、もちろん、撮影できませんでした。



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  一休禅師(周建)は、しかし、僧堂内の頽廃を嫌い、他の修行僧らが門閥や格式を欲しがるの聞いて、耳をふさいだそうです。そして、漢詩の師、慕哲禅師に二つの偈頌(げじゅ)を差し出し、叢林の退廃を訴えたのは、16歳のときのことと云います。



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 そして、その慕哲師ですら、武家に媚びるさまをみた一休禅師(周建)は、純禅の道への思いを強くしやはったんではないでしょうか。



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  二つの茶室のほか、写経スペースも設えてありました。

 
    

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  「霊源院」には、一休禅師の手になる墨蹟が残されているらしいのですが、見当たりませんでした。

  参考   「一休さんと堅田」 平成17年 「一休さんのくに」委員会刊
 
    
        「一休」 水上勉著 昭和55年 中央公論社刊


 
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2014年11月10日 (月)

酬恩庵の特別公開 <一休禅師の足跡 ⑭>

  第50回となる、京都非公開文化財特別公開の一環として、京田辺市の一休寺酬恩庵の虎丘庵と浴室が初公開されていました。(11/9で終了)

  
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  虎丘庵は、一休禅師の晩年の住まいであり、88歳で入寂された場所です。東隣に自ら設けた墓所を、禅師は、この窓から眺めていたんだそうです。(当時は塀がなかったらしい)
  
  

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  普段は閉められている虎丘庵への門扉。

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 浴室の建物は、山門を上がった左、拝観受付の向かいです。

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 蒸し風呂のような構造です。薬湯だったんでしょうな。


  
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  特別公開箇所を見たあと、少し境内を歩いてみました。


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   特別公開の看板が立てられた門前。

 
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 今回は、近鉄新田辺駅とJR松井山手駅を結ぶ京阪バスで往復しました(一休寺前下車)。一時間に一本のそのバスの乗客は、私ともう一人だけでした・・・。
  
  

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  JR学研都市線(片町線)松井山手駅前にも、京田辺駅前と同じ一休さんがいました。



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2014年9月26日 (金)

梨木神社で弓術披露

  9/21(日)、京都御所の東に隣接する 梨木(なしのき)神社の“萩まつり”をのぞいてきました。奉納行事の中に、「小笠原流弓術披露」と云うのが目につきました。
 
   

  
  

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   中々の、堂に入った装束です。


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 こちらは、判定役。射手(いて)に注目し、矢が放たれると、即座に的に視線を移します。
  

   
 
  
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  さすが京都やねぇ。そこはかと気品が漂いますなあ。
   
 
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  的を射抜かなかったとき、後方の幕布に刺さります。


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  境内の会場風景は、こんな感じです。

  


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 この日、賀茂大橋南の鴨川は、穏やかな流れでありました。

  

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 出町柳から枚方市まで、京阪特急の二階席に乗って帰りました。ちょっとイイ気分です。

  

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2014年7月 7日 (月)

嵯峨野の 鹿王院 <一休禅師の足跡 ⑬>

 幼少の頃の一休禅師は、その名を 「千菊丸」 と云い、洛西、奥嵯峨野の地蔵院で母とともに過ごしたそうです。
  

 
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  嵐電 「鹿王院」駅から南へ5分ほど歩くと、鹿王院(ろくおういん)の山門です。




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  客殿へとつづく参道は、山城田辺(京田辺市)の一休寺酬恩庵に似た印象で、青葉のもみじがトンネルになっていました。
  

  
  

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  訪れたひとは、鐘を叩いて案内を乞います。
 

    
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   6歳のとき、四条大宮あたりにあったと云う安国寺に預けられた千菊丸は、「周建」の名を与えられ、童行(ずんあん)として、修行の道に入ったんだそうです。 
  

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  鹿王院は、足利三代将軍義満が建てた禅寺です。
  
   
  

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  16歳で安国寺を出て、西金寺に謙翁を訪ねるまで、建仁寺の慕哲竜攀(ぼてつりゅうはん)禅師など、あちこちで修学に励み、12歳の「周建」も、ここ鹿王院で、維摩経(ゆいまきょう)の提唱を聴いたと云うことです。 
  

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  舎利殿(しゃりでん)です。ここには、宋から招来したと云う仏牙(ぶつげ)舎利を安置した多宝塔がまつられています。重い木の扉を押しあけて入った薄暗い内部では、なぜか、出られなくなるんでは、との思いがして、カメラを構えることが出来ませんでした。

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  舎利殿前から、客殿を望む本庭です。
  
  

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  鹿王院には、実父、第百代後小松天皇の筆(しんぴつ=筆跡)も残されていると云い、あるいは、幼子をそっと見に来られたのかも知れまへんなぁ。


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  鹿王院から、トロッコ列車が出る嵯峨嵐山駅まで、歩いて15分くらいでした。

  
 

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2014年6月27日 (金)

聖徳太子のお墓を守る叡福寺

  順番が前後してしまいました。

 近つ飛鳥博物館から、クルマで15分ほど北へ行くと、聖徳太子ゆかりの叡福寺(えいふくじ)に至ります。このお寺は、“上の太子”と通称されていて、近鉄喜志駅から出る金剛バスの停留所名は「太子前」です。


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  バス停の向かい側の見上げる位置に、南大門がそびえています。 
  

  

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  階段を上がって左手にある多宝塔。


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 叡福寺は、聖徳太子の御廟を守るために建立されたんだそうですが、織田信長の兵火によってすべて焼失、現在残っているのは、その後に順次再建されたものだと云うことです。

  南大門のずっと奥の、二天門の階段を上がったところに、聖徳太子廟がありました。


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  この建物の後方は、叡福寺北古墳です。聖徳太子母(穴穂部間人=アナホベノハシヒト=皇女)と、聖徳太子、太子の妃(膳部菩岐々美郎女=カシワデノオミホキキノイラツメ)が葬られていると云いますが、異説もあるようです。 

  

  
  
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  中世には、三棺合葬の形を阿弥陀三尊に結びつけ、三骨一廟とよんで信仰の対象になったりもしたそうですが、変わった構造になっています。ここも、宮内庁の管轄です。 

  

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  斜面を登るように建てられた御廟の建物を見て、奈良・吉野の川上神社上社でみた光景と重なるように思いました。

 
 
  

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←ここに、斜面を登る建物が見えます。上端にも、お社がありました。

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  御廟の前の、二天門から南大門を振り返ってみました。


  

  
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 緑に囲まれて、こじんまりと落ち着いた境内です。

  
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  南大門下の駐車場も、境内散策も自由、寺宝館のみ200円。太子前へのバスは、近鉄電車喜志駅から1時間に2本程度です。

  
  

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  因みに、大阪府八尾市の勝軍寺が“下の太子”、同 羽曳野市の野中寺が“中の太子”と呼ばれているそうです。


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2014年6月20日 (金)

「ヤマト王権と葛城氏」 近つ飛鳥博物館

 飛鳥(あすか)は二つあり、難波(なにわ)から近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたと古事記にあるそうです。遠い方は、奈良県の明日香地域ですが、近い方は、大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさします。
 大阪府立「近つ飛鳥博物館」は、古墳が点在する、近つ飛鳥 風土記の丘の谷間に建てられた、ちょっと変わった博物館です。6/29まで、特別展「ヤマト王権と葛城(かつらぎ)氏」を開催中とのことなので、出掛けてきました。

 


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  “平成の古墳” として建てられたと云う、安藤忠雄氏設計のこの建物は、一階から中地階、地階と下がっていく構造になっていて、古墳の内部に入っていくイメージだそうです。この狭い通路で手を叩くと、金属的な響きがコダマします。

  

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 この博物館は、古墳文化の公開・展示・研究が目的のセンターですが、単に出土品を展示するだけではないようです。
  
  


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  一階が近つ飛鳥と国際交流、中地階が日本古代国家の源流、地階には現代科学と文化遺産が展示され、下の写真の下方には、藤井寺市で発掘された巨大な「修羅」が保存されています。

  
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  巨大な水鳥形の埴輪です。


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 三角縁神獣鏡(さんかくぶち しんじゅうきょう)のパズル・・・。鏡の縁の断面が三角形になってるから三角縁と呼ぶそうです。
  
  

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  埴輪は、古墳の周縁部に並べられていたそうです。これは女子。

  

  
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  これは、男子。

 
  
  
 
  
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  「修羅(しゅら)」は、古墳時代の重量物運搬用の巨大な木製のソリ。14年掛けて、水分を樹脂に置換する保存処理がなされたものです。


  
 
  
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 この先が特別展示室で、「ヤマト王権と葛城氏」をテーマに展示されていました。14時からは、学芸員による展示解説もありましたが、撮影不可でした。

  
  

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  この博物館では、周辺に点在する古墳群全体をそのまま見渡せるよう、窪地にある建物を階段状に隆起させ、一つの丘と考えたつくりになっているそうです。

  

  
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  館内の喫茶コーナーに軽食はありましたが、周囲には何屋さんもない環境です。


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  このあと、聖徳太子廟へも足をのばしました。



           

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2014年6月13日 (金)

京の “ギャラリー&喫茶” で写真展

 

 学生時分には大して撮らなかったのに、今になって、急に写真に熱中している友人の写真展を見てきました。


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 会場は、京の四条烏丸、地下鉄四条駅から歩3分のところにある “ギャラリー&喫茶  繭(まゆ)” です。

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  地下鉄四条駅5番出口の仏光寺通を東進、一筋目の細道を上がったところに、小川珈琲の赤い看板が目につくだけのたたずまいです。 


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  この日は、「十人十色」 と云いながら、「十五人十五色」 で、一週3人×5週のオーナーによる企画写真展の3週目でした。  


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 ひとり5点ですが、出展費用(会場費)は、ひとり2万円くらいで済むそうです。 


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 私も・・・との思いが一瞬よぎりましたが、当方は、フエルフォトブックのまわし者ゆえ、思い留まりました。


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2014年6月 2日 (月)

羽衣線も、浜寺海岸がねらいだった・・・

 さて、南海電車羽衣駅は、高架化工事が進んでいました。


  

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 JR東羽衣駅は、この左手後方すぐ、交番の先にあります。南海羽衣駅から歩2分です。

  

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      (前回記事の南海/高師浜線とJR/羽衣線の位置関係を略図にしました)

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  一瞬、JRの駅はどこかいなと見渡しました。高架の終端は、なにか、スパっと断ち切ったような感じのする光景ですが、高架化されたのは、昭和49(1974)年のことなので、更に延長しようと目論んでいたとは思えまへん・・・。



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 でも、国鉄になる前の阪和電気鉄道時代、山手を走る阪和線が、鳳駅から海側への支線をわざわざ引いたのは、昭和4(1924)年のことです。当時、大阪で人気の行楽地であった “浜寺海岸” への行楽客と、高級住宅地居住者の輸送を狙ってのことやったそうです。当時は、「阪和浜寺駅」 (現・東羽衣駅) と云い、南海と繰り広げた、激しい競争の一環やったそうです。
  
  

  

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  中二階のコンコース、りっぱなもんです。

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 高架線の終端なので、高師浜駅に比べると、さすが、重厚な作りの衝突緩衝装置です。

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  どうやら、その装置を住処にしてるらしい にゃんこ が、こちらを睨んでいました。


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  屋根の隙間は、ギャーギャーうるさい鳥の住処になっているようです。

  
  

  
  
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  鳳 (おおとり) からの、三両編成の電車が入ってきました・・・。一時間に4本の運行です。

  
  
    

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  たった一駅だけの盲腸線の終点やのに、乗車ホームとは別の広い降車ホームがありました。

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  降車が終わったはずなのに、中々、扉が開きません。ワンマンやからかなぁ。

 
 
  
  
   

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   折り返し鳳行きは、間もなく出発です。

 

  
  
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  直線部では、90km出てました。支線やけど、手抜きがない感じやねぇ。

  

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  高架を降り、カーブに差し掛かると、まもなく終点、鳳駅です。
  


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 到着ホームは、島式のようですが、片側には線路がありません。 

 
 
  
  
  

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  はい、到着です。右手には、阪和線のホームが見えます。
かつては、天王寺から阪和浜寺へ、ノンストップ急行が走った時期もあるそうです。


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  全長1.7km、たった一駅だけの盲腸線、JR 阪和支線(羽衣線)でした。

 
 
  
  

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 阪和線ホームから見た羽衣線電車。 次の 「関空快速」に乗って、京橋経由で帰ります。

  
  
  

 
  
  
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2014年5月16日 (金)

紀伊田辺の 「南方熊楠」 顕彰館

  さて、「ゆあさ行灯アート展」 見学から始まった今回の “ちょっと旅” 、実は、先に紀伊田辺へも行ってきました。なんせ、行灯は夕方からでしたのでね・・・。(途切れ途切れに引っ張った、今回の和歌山編は、これにてお終いです)
  

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 1867年、和歌山市の清酒 「世界一統」 の蔵元に生まれた 南方熊楠(みなかたくまぐす)は、米英に遊学ののち、1904年以降、紀伊田辺に住まいし、粘菌(変形菌)・菌類の研究、民俗学に特異な足跡を残した在野で孤高の科学者です。その熊楠が研究の拠点とした邸に隣接して、「南方熊楠顕彰館」 がありました。


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 粘菌の標本などを顕微鏡やパソコンのデジタル画像で見られるようになっています。


  
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 革表紙の大事そうな本が、開架に並んでいて、自由にページをめくれますが、英文です。
  

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  熊楠翁愛用の写生用具らしい。
  
  

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  デジタル顕微鏡の傍に用意されている標本・・・。

  
   
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  エントランスにある展示コーナー
  
  
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 地図にある「神島(かしま)」には、貴重な熱帯・亜熱帯の植物が生息すると、熊楠が保存に努め、昭和10年に、国の天然記念物に指定されています。
  

  
  
  
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  その神島への昭和天皇の行幸に際し、粘菌について進講した熊楠は、キャラメル箱に入れた標本を100種類も献上したんだそうな。そのキャラメル箱、タバコサイズの箱かと思っていましたが、実物を見ると、ずいぶん大きく、今のキャラメル箱が20個ぐらい入る大きさでした。


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  胸像は、ガラスで仕切られた収蔵庫内にあり、光線の加減が良くないですな。
  
  

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  顕彰館そのものは、入館無料ですが、隣の南方熊楠邸は、観覧料(300円)が必要。


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  急に降り出した大雨でしたが、大き目のビニール傘を貸してもらえました。



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  土蔵には、25,000件もの文献や抜書などがギッシリ収められていたと云う。
  

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 「安藤みかん」は、なんでも、原種に近い種類のミカンだそうです。田辺の旧藩士安藤治平衛邸にあったところから、この名で呼ばれ、同邸の木が枯れたのちは、南方邸の木が天然記念物に指定されたそうな。

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 「予が現地に楠の木あり。その下が快晴にも薄暗いばかり枝葉繁茂しおり、炎天にも熱からず、屋根も台風に損せず、急雨の節、書斎から本宅へ走り往くを擁護す」と熊楠は愛着を抱いて讃えていたと云います。
 
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  「南方熊楠顕彰館」 の入口。


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  南方熊楠邸に遺されていた文書・資料・文献のすべてが顕彰館に移管され、所蔵資料の研究のための「研究作業室」で、熊楠知見のデジタル化などの作業が進められているそうです。なお、白浜には、昭和40年に設立された 「南方熊楠記念館」があります。

■ 「南方熊楠顕彰館」 へは、JR紀伊田辺駅から南へ歩10分。


                                                      
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