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2018年6月11日 (月)

「京阪梅田線」の残影

          日頃、京阪電車の守口市~京橋間をノンストップで通過する電車に乗って
        いて思っていたのですが、複々線区間なのに、森小路(もりしょうじ)駅だけが
                 他の通過駅のような両外だけの相対式ホームではないのです。森小路駅だ
        け急行線(A線)と緩行線(B線)の間に島式ホーム(急行線側は、今はフェン
                 スになっている)になっています。これ、なぜなのか?

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           歴史的に、京阪電車は、大阪・梅田への乗り入れを目指してきたそうで、
                    森小路駅のホームが島式4面なのは、ここでの分岐が考えられていたから
                    かと想像したんですが、計画当時の森小路駅は、現在の千林駅のことだっ
                    たそうですから、この説は、違うようで、今のところ、不詳です。

2
 

          その後、国鉄城東線(現JR大阪環状線)の高架化(従来の線路の内側に
         高架線を建設)に伴って遊休地となったスペースの払い下げを受けることに
                   なり、蒲生信号所(野江~京橋間)から桜ノ宮へ向かう計画に修正されたそ
                   うです。
                      鉄道建設では、早い段階で、橋梁などの計画が組み込まれるそうで、国
                   鉄側も、桜ノ宮駅近くでの交叉部分を橋梁にして、「京阪梅田線」を受入れ
                   ることになったようです。(その費用は、京阪負担とか)
  Dscf66492

            桜ノ宮駅から京橋寄りに少し行ったところの高架が不自然な“鉄橋”に
                   なっていて、これまた不自然に、斜めに設置された中間の橋脚梁が美容室
                   の上に見えます。ここを、「京阪梅田線」が抜けるように計画されていたとい
                   う訳です。

Dscf6669

          京阪が払い下げを受けようとした城東線の旧線路は、高架線の南側に
         あったので、どこかで交叉しなければならなかったのです。現在、物置の
         ようになっているこの場所を、「京阪梅田線」が通るはずだったんですな。

Dscf6641


          この斜めになった部分の高架橋には、「京阪電鉄乗越橋」の銘板が取付
                  けてありました。もっとも、この銘板は竣工時のものではないようで、比較的
                  近年に取付けられた感じでした。
 Dscf6652

           前後の高架は、コンクリ壁が続いており、鉄製のガードは、そこだけで
                     した。こここそ、「京阪梅田線」が建設されようとした痕跡だと云えましょう。

Dscf6612

           
           蒲生信号所は、野江と京橋の間で、複線から複々線になる地点に設けら
                    れていました。現在、“かんこう”(旧関西航空)の建物があるあたりです。
           昭和41(1966)年には、複々線から複線区間に入った直後の各停に、信
                    号無視の急行が追突する事故があり、ATS設置を促したこともありました。
                    ちょうど、この右手辺りでしたな。
              また、写真中央の一番低くなった位置には、古ぼけた跨線橋(歩道)があ
                    り、中学生のころに、何度か恐々渡ったことを記憶しています。

Dscf9870

           京阪は、今思うよりも大きい会社で、歴史的に野望を秘めていたそうで
                     すが、悲運の連続でもあったようです。結局、「京阪梅田線」は、実現しな
                     いまま、今日に至っているのです。                  

                             
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コメント

今晩は。
もし京阪梅田線ができていたら京都ー大阪間をまともに阪急と競合した
んではないですか?もちろん国鉄(JR)もあるし、利害がぶつかる可能
性があったような気がしますが‥‥実際どうだったんでしょうね。 think

平戸皆空さん、こんばんは。いつもありがとうございます。

 ご存じないかも知れませんが、阪急京都線は、もともと京阪が高速規格で新京阪線として敷設したものです。戦時企業統合で京阪と阪神急行(だから阪急)が統合され、京阪神急行となりました。戦後、それが分割されたとき、新京阪線は阪急に残されたという訳です。“京阪の悲劇”と云われるゆえんです。
 もし、京阪梅田線が成就していたら、京都への起点は天神橋6丁目か、梅田のHEPあたりが起点になっていたでしょうが、利便性はよくなかったでしょうね。
 

ハハ~ン、そういうことだったんですか。なるほどよく分かりました。
それから昔は阪急電車のことを京阪神急行電鉄と言ってましたよね。
初めて大阪に来て阪急に乗ろうとしてずいぶん迷った記憶があります。
大阪地元の人は分かり切ってるんでしょうが、東京の方から来た者には
京阪神急行電鉄が阪神か阪急か京阪か最初はまず分からないです。wobbly

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