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2014年9月 8日 (月)

天理軽便鉄道の痕跡 ①

 昭和20年まで、今のJR大和路線の法隆寺駅前から、近鉄平端(ひらはた)まで走っていたと云う、「天理軽便鉄道」の新法隆寺~平端間の痕跡をたどってきました。(近畿日本鉄道の法隆寺線としての正式廃止は昭和27年)

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 JR大和路線・法隆寺駅の南口広場の、交番(左手の二階建て)が建っている辺りに、「天理軽便鉄道」の車両転回場があり、その手前に新法隆寺駅があって、左手後方へ線路が延びていたそうです。

 

 
 

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 法隆寺駅南口のロータリー東向いにあるレンタサイクル店で自転車を借り、平端へ向って出発・・・。その店のスグ南の側溝に、レンガ造りの橋台の痕跡がありました。


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 かつて11年間、法隆寺駅の南東にある工場に勤務していたことがあり、地元の同僚の親父さんに書いてもらった、この日のための略図があるので、心強い限りです。

  
  
  

  
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  今は、住宅地となって、線路の跡は完全に失せていますが、だいたいの方向に5分も進むと、住宅地が途切れ、田畑が広がっています。


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  上の写真の左の小路が、線路跡でしょう。電柱が続いていて、さも線路沿いの感じです。
 


  
    
 
  
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  しばらく進むと農業用水路を渡る箇所があり、自転車は、少し迂回するよう標識が出ていました。その用水路にも、レンガ造りの橋台跡がありました。
 
  

  
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  ふと法隆寺駅の方を振り返ると、やっぱり線路跡の雰囲気ですな。
  
  

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 何か、ピンク色のものがレンガに張り付いています。“ジャンボタニシ”と通称されるスクミリンゴガイの卵ですよ。イネへの食害が問題になってるやつで、卵のときに水に落ちると死ぬらしいが、不気味なピンクです。 

     

  
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  この小路、JR大和路線が富雄川を渡った先にある法隆寺国際高校(旧斑鳩高校)の生徒さんの通学路になっています。このまっ直ぐな小路は、富雄川まで続いていて、その先では、大きな灌漑池(木戸池)の中央を突っ切っています。

  
  
  

  
  
   
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  富雄川の堤防の高さまで、少しずつ土手が登って来ています。(奥が法隆寺方向) 

  
  
  

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  富雄川の堤防は、改修が進んでいて、痕跡は皆無ですが、堤防のスグ東側に広がる木戸池のほとりには、鉄道跡の説明板がありました。


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  この池の中央を土手が横断しています。この土手が線路跡で、中央に、開口部があって、橋台跡を見ることができます。 

  
  
  

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  上の写真の、足許に、法隆寺自動車学校の大きな鉄塔看板があったのですが、今は、それもなくなっていました。 

 
  
  

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 天理軽便鉄道は、この木戸池の真ん中を、東西に横断していた訳です。 
  

   
  
  

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 この日、久しぶりの晴天、自転車でなかったら、かしの木台からのバスで戻ろかと思うくらい暑かった・・・。


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  木戸池を過ぎると、安堵の村中へ進みます。竹林が続いているところが線路跡だと教えられましたが、蛇が苦手なので、畦みちに入るのはやめときました。

 
  

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 多分、ここもそうなんでしょうな。不自然に空き地があり、飛びとびに、竹林が続いています。
  
  

   
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 「大和安堵(あんど)」駅は、この安堵駐在所の辺りにあったそうです。この右手、斜め後ろには、現在、安堵町役場があります。


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  駐在所から5分と掛からないところに、「安堵町歴史民俗資料館」がありまして、ここには、「天理軽便鉄道」の資料も、一つのコーナーになっていました。今回の、一枚目の写真は、そこに展示されている、かつての「大和安堵」駅と「ガソリン機動車」の模型を撮らせてもらったものです。
  
 
   

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 現在の地図と重ねるように見ると、特徴のある池の形と配置から、およその位置関係が読み取れます。この地図も、「安堵町歴史民俗資料館」に展示されているのを撮らせてもらいました。
 
 

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 「天理軽便鉄道」は、大正のはじめに、国鉄法隆寺駅と同天理駅とを結んで、天理教関係者を輸送する目論見でしたが、大阪電気軌道(近鉄の前身)が畝傍線(現橿原線)の敷設に際して天理軽便を買収、天理~平端間をナローゲージから広軌(標準軌)に改修して、大阪(上本町)~西大寺~平端~天理の直通電車を運転しています。大正11年のことです。

 そのとき、平端~新法隆寺間は、非電化ナローゲージのまま切り離され、小型蒸気機関車の時代を経て、ガソリン機動車(なぜかこの字が用いられている)での運行が昭和20年まで続いたそうです。(近畿日本鉄道、つまり近鉄の法隆寺線として)

  
   

◆このあと、平端まで つづきます・・・。

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コメント

すごいものが走ってたのですね。奈良県に住んで15年ですが、はじめて知りました。次の天理までのブログ楽しみにしてます。

廃線跡めぐりも風情がありますね。赤レンガの遺構、橋台跡などを見つけると感慨深くなるかと思います。奈良では以前大仏線跡巡りのウォークに参加したのですが、楽しめました。

 kiwattiさん  大仏線跡のウォークと云うのは、JAF京都が6月に主催したウォーク・イベントですか。私も応募したんですが、抽選に漏れてしまいました。木津川市が、かなり整備しているようですので、季節がよくなったら、出掛けたいと思っています。

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