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2014年9月12日 (金)

「天理軽便鉄道」の痕跡 ②

  「安堵町歴史民俗資料館」には、伝統産業の“灯芯つくり”を再現した展示もありましたが、何と云っても、「天理軽便鉄道」でしょうな。展示から二つ、撮らせてもにいました。


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  「近鉄資料館」によると、近鉄の前身、大軌(大阪電気軌道)が天理軽便鉄道から、新法隆寺~天理間の事業を譲り受けたのは、大正10年で、その2年後には、平端~天理間を標準軌に改軌・電化しています。このとき、平端~新法隆寺間は、非電化・ナローゲージ(軌間762mm)のまま切り離され、大軌の法隆寺線として残されました。(下の写真は、ガソリン機動車のジオラマ)   
  
  
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 安堵町役場の前を農協前バス停まで東進し、南向きにカーブするバイパス路(大半が鉄路跡?)をその手前で離れると、どうやら、この小屋の左手に続く“筋”が、鉄路跡の感じです・・・。 
  

  

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 そもそも、「天理軽便鉄道」が敷設されたのは、天理への短絡が趣意だったそうです。
大阪から、天理へ行くには、国鉄関西線(JR大和路線)で奈良駅へ出て、桜井線で南下するルートだったのを、法隆寺から近道しようとした訳です。しかし、往路は そうでも、帰路は 奈良へ寄る人が多かっのたか、乗客数が伸びず、開業わずかで、大軌に買収されたようです。
  
  
  
  

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       昭和26年ごろの近鉄路線 色が淡くなってるのは、休止区間 (近鉄ストーリーより)

     

  
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  田んぼの広がる一帯に、鉄路の痕跡をみつけることは出来ませんが、古地図にある池の形と位置から、この池(沼地)の先を東西に鉄路が通っていたんだろうと見当がつきます。

 

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  背中側には、西名阪道がつづき、最近、大和まほろばICが出来ていました。


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 奈良厚生会病院の東寄りあたりで、西名阪道が、旧鉄路を斜めに横断しているものと考えられます。
 
  
  
   

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  西名阪道の下を南側へくぐると、昭和工業団地の一画です。タマノヰ酢などの工場が目につきます。しかし、古地図を見ると、平端からの鉄路は、斜めまっすぐに延びていたので、もう少し東寄りの、大同化学工業やエビス歯ブラシの工場がある辺りを西進していたものと想定できます。
  


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  下の写真の真ん中あたりを、「天理軽便鉄道」が斜めに横切っていたんでしょうか。
ここは、大阪万博の頃に造成された工場団地なので、そんな面影は皆無です・・・。

  

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 工場団地沿いを南北に走る道路の真ん中辺りに、東に折れるT字路がありました。ほぼ、まっすぐです。地図を見ると、この正面を突き当りまで進むと、そこが平端駅のようです。



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  少し進んで振りかえると、道路の先に、工場団地の建物が、立ちふさがっていました。



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  左手へ曲がる狭い道が、もともとの道路です。朝、車両進入禁止になっている、これも、さほど広くない右側の道が「天理軽便鉄道」の線路跡でした。
  
  
  

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  同じ場所の後ろを見ると、やはり、二本の道路があり、右手が鉄路跡、左手がもともとの道路です。この地点で、道路と鉄路が交差していて、踏切があったものと想像がつきます。  
  
  

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  それゆえかどうか、この交差点の傍らには、慰霊碑みたいなのが建てられていました。


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  突き当りは、近鉄 平端(ひらはた)駅です。奈良健康ランドの送迎バスが停まっている辺りに、法隆寺線車両の転換施設(転回所)があり、その手前に、法隆寺線の平端駅があったと教えられました。

  

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  例によって、後ろを振り向いてみると、こんな感じです。

 

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  少し、平端駅の外周を回ってみました。左手に曲がっているのが、近鉄天理線で、買収した「天理軽便鉄道」の平端~天理間を改修した区間です。京都から直通運転され、天理教の月次祭の時には、大阪からの臨時電車も、西大寺経由で運転されます。
  


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  平端駅ホームの下をくぐって、天理側に出てみると、天理方向へ続く、三角形の空き地がありました。これ、「天理軽便鉄道」の敷設用地だったのかも知れません。右手後ろには、天理への土手が続いています。(写真の自転車は、法隆寺駅前で借りたレンタサイクル)


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  平端駅の南方向、田んぼが広がっているなか、橿原神宮前方面への電車の響きが心地よく聞こえていました。
  
  

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  ・・・と云うわけで、「天理軽便鉄道」の痕跡は、ごく僅かでした。
下の地図は、平端駅前ロータリーに設置された案内板のものです。「天理軽便鉄道」の新法隆寺~平端間が、近畿日本鉄道の法隆寺線として、営業休止したのが、昭和20年2月11日、正式廃止になったのは、昭和27年4月1日のことだと、「最近20年のあゆみ」の年譜に記されています。


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 なお、以前から、明確な痕跡だと思い込んできた、大和中央道(南行線)の額安寺口バス停付近の土盛り部は、鉄路の痕跡とは無関係であることを確認しました。


  参考 『最近20年のあゆみ』 近畿日本鉄道刊(昭和55年)

      『近鉄資料館』 路線の履歴書 (Webページ)


                         

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コメント

いつも楽しく拝見しています。
天理軽便鉄道というのがあったのですね。
昔の痕跡が残っているところを、
丹念にたどっていて、感心しましたhappy01

資料館のジオラマをみて、現在の写真をみると、、
昔の風景がよみがえってくるようで、
面白かったです。

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