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2014年6月 2日 (月)

羽衣線も、浜寺海岸がねらいだった・・・

 さて、南海電車羽衣駅は、高架化工事が進んでいました。


  

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 JR東羽衣駅は、この左手後方すぐ、交番の先にあります。南海羽衣駅から歩2分です。

  

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      (前回記事の南海/高師浜線とJR/羽衣線の位置関係を略図にしました)

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  一瞬、JRの駅はどこかいなと見渡しました。高架の終端は、なにか、スパっと断ち切ったような感じのする光景ですが、高架化されたのは、昭和49(1974)年のことなので、更に延長しようと目論んでいたとは思えまへん・・・。



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 でも、国鉄になる前の阪和電気鉄道時代、山手を走る阪和線が、鳳駅から海側への支線をわざわざ引いたのは、昭和4(1924)年のことです。当時、大阪で人気の行楽地であった “浜寺海岸” への行楽客と、高級住宅地居住者の輸送を狙ってのことやったそうです。当時は、「阪和浜寺駅」 (現・東羽衣駅) と云い、南海と繰り広げた、激しい競争の一環やったそうです。
  
  

  

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  中二階のコンコース、りっぱなもんです。

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 高架線の終端なので、高師浜駅に比べると、さすが、重厚な作りの衝突緩衝装置です。

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  どうやら、その装置を住処にしてるらしい にゃんこ が、こちらを睨んでいました。


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  屋根の隙間は、ギャーギャーうるさい鳥の住処になっているようです。

  
  

  
  
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  鳳 (おおとり) からの、三両編成の電車が入ってきました・・・。一時間に4本の運行です。

  
  
    

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  たった一駅だけの盲腸線の終点やのに、乗車ホームとは別の広い降車ホームがありました。

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  降車が終わったはずなのに、中々、扉が開きません。ワンマンやからかなぁ。

 
 
  
  
   

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   折り返し鳳行きは、間もなく出発です。

 

  
  
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  直線部では、90km出てました。支線やけど、手抜きがない感じやねぇ。

  

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  高架を降り、カーブに差し掛かると、まもなく終点、鳳駅です。
  


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 到着ホームは、島式のようですが、片側には線路がありません。 

 
 
  
  
  

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  はい、到着です。右手には、阪和線のホームが見えます。
かつては、天王寺から阪和浜寺へ、ノンストップ急行が走った時期もあるそうです。


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  全長1.7km、たった一駅だけの盲腸線、JR 阪和支線(羽衣線)でした。

 
 
  
  

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 阪和線ホームから見た羽衣線電車。 次の 「関空快速」に乗って、京橋経由で帰ります。

  
  
  

 
  
  
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