« 宇治の秋色 | トップページ | 茨城空港も一生懸命・・・ »

2013年11月25日 (月)

「丹波橋駅」 に相互乗入の痕跡

 

 幼きころの記憶に、近鉄電車の奈良駅に京阪電車が停まっていたシーンがあります。
流線型のアタマの、緑色の電車でした。


 そうそう、こんな電車が、近鉄奈良駅(当時は地上駅)にいたのです。


  001       
                   

                   「京阪電車・車両70年」 京阪電鉄刊(1980年)より





 「近鉄資料館」 によると、京都-西大寺間の“奈良電”(奈良電気鉄道)は、昭和3(1928)年の開通以来、大阪電気軌道(近鉄の前身)と相互乗入れし、京都-奈良間を直通運転したそうです。

 そして戦後、京阪電鉄とも相互乗入れし、京都-宇治、三条-奈良間にも直通電車を走らせていたんだそうです。

  

  

 016


 

  相互乗入れの接続駅は、丹波橋駅でした。しかし、昭和38(1963)年、“奈良電” が近鉄に買収されると、その5年後、乗り入れ駅での容量の問題もあってか、相互乗入れは解消になってしまいました。

 

049

  

 
 

  

 現在、丹波橋駅(京阪)と近鉄丹波橋駅とは、高架連絡通路で結ばれていて、まるで一つの駅のように行き来できますが、相互乗入れはしていません。

 上は、その高架連絡通路の外観です。途中に地上との連絡階段があり、地元客の利便も図られていました。

 
 


 

050

 
  


  

 

 京阪丹波橋駅の京都寄り踏切の先の、切通しの中を、近鉄京都線が通っています。





  


 048



  

  さて、乗入れは、“奈良電” が京阪の丹波橋駅に乗り入れる形だったそうなので、それがどこだったか、痕跡を探して歩いてみました。“いそしず”さんのライナーノートの二番煎じみたいになってきましたな・・・。


 赤点線で書き込んだのが、乗入連絡線のルートだと考えられます。




003  

  




  まず、京都寄りの近鉄踏切に行ってみると、京阪線から降りて来れそうなカーブ地点に、細長く、自転車駐輪場が続いていました。





 056

  


 
  京阪の高架と道路の間、フラワーポットと自転車駐輪場があるところに、乗入連絡線があったんでしょうな。




060




  丹波橋駅に近づくと、誤出発防止用の側線がありました。近鉄線からの乗入連絡線は、おそらく、この線路の先につながっていたんでしょうな。奥に見えるのが丹波橋駅です。


  


 

 063





 丹波橋駅の、京都寄りの踏切まで戻ってきました。反対側にも行ってみなければ・・・。






  039



  


 今度は、大阪寄りの踏切に来ました。  

 こちら側にも、丹波橋駅を出たところで止まっている、誤出発防止用の側線がありました。




140
 




  特急よりも、緩行線を出発する時の方が、乗入連絡線へのつながりを感じますな・・・。
  





 155



  


 ふと振り返ると、その先には、多分、乗入連絡線が走っていたであろう、空き地が続いていました。

 

 

 

 161





 痕跡らしきフェンスに沿って、左の道路を進んでみます。
  






  162


 


  少し進むと、突き当りになっていて、ちょっと痕跡が分らなくなりました。
でも更にその先の、フェンスの奥に、やはり、近鉄の線路につづく空き地が見えてきました。

  166


  
  

 前方に、近鉄の桃山御陵前駅が見えています。京阪・丹波橋駅を出た奈良行きの電車は、どうやら、この地点で、近鉄線(かつては奈良電)に乗り入れていたようです。





 
 168





 ところで、「丹波橋」 の駅名は、駅のすぐ京都寄りに 「丹波橋通り」があるからのようですが、その「丹波橋」 と云う橋は、丹波橋通りを300mほど西に行った、濠川(疏水)に架かっていました。これが駅名の元と云うことですな。




 


 032




  丹波橋の東南詰には、月桂冠の酒蔵の、どっしりとした姿もありました。




 033






 
                         ポチッとよろしく!




  



  


  

« 宇治の秋色 | トップページ | 茨城空港も一生懸命・・・ »

ニュース」カテゴリの記事

携帯・デジカメ」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

自宅(奈良県)から貴船・鞍馬方面に行くときに丹波橋で乗り換えねばならず、面倒くさいなーと思ってましたが、昔は繋がってたのですね。奈良から神戸に行くのは近鉄・阪神の相互乗り入れで便利になりました。もう一度近鉄・京阪は相互乗り入れしないのでしょうか。線路用地はまだ使えそうなのでやってくれたら有難いのですが、もし実現しても私はもう息をしてないでしょう。いつも興味を持って読ませていただいてます。有難うございました。

 nobunagaE.Tさん   いつもご覧いただき、ありがとうございます。“奈良電”と云うのは、もともと京阪に近い会社で、近鉄に買収される前は、京阪・近鉄の共同の子会社みたいな状態だったそうです。近鉄が買収を仕掛けたとき、京阪は、淀屋橋延伸で手いっぱいやったんでしょうな。
 京阪の丹波橋駅は、二面四線ありますが、平面の渡り線があると、安全面が問題で、JR天王寺駅のように、渡り線を高架化しないと駄目かと思います。まあ、相互乗入れは、単純な延長の形が無難そうですね。

はじめまして。

「京阪電車・車両の70年」という本をお持ちなのですね。

丹波橋駅は、昔京阪線と近鉄京都線が乗り入れをしていたことは、手持ちの本で知っていましたが、実際に「その痕跡をたどろう」という考えは、自分には無かったです。

大変、参考になりました。

ありがとうございました。

南太郎さん、こんばんは。
京阪と近鉄の連絡線、興味深く拝見致しました。あ、さりげなく紹介も頂き、ありがとうございます^ ^ 私はこの連絡線は知りませんでしたし、二番煎じじゃないと思います。鉄道の痕跡探しは楽しいですね。
国鉄(JR)と私鉄の連絡線はよくありますが、ここは双方私鉄というのが面白いと思います。近鉄も廃線跡が多いので、また訪問したいと思っておりますが、私の方が二番煎じになるかも知れません(笑)…神戸の地域ネタ中心のブログだったつもりが、最近は鉄道ネタ(しかも痕跡ばかり)のブログに変わりつつあると実感している、今日この頃です…(^^;;
また南太郎さんのブログ、見に来ますね。コメント失礼致しました〜

 京阪快急3000さん、近鉄と京阪の記念誌は、いくらか手許に残しています。関西の電鉄の歴史と云うのは、実にダイナミックなので、目の前に見える姿の “由来” をたどって楽しんでいます。
 当方は、大阪市内→大和田→大阪市内→寝屋川市と近場で引っ越ししてきましたが、最寄駅は、「萱島」です。

 いそしずさん、コメントありがとうございます。
貨物輸送を重視しなかった関西の私鉄は、狭軌の近鉄南大阪線と南海以外、もともと乗り入れを考えてなかったんでしょうね。
 近鉄の歴史は戦略的な買収の歴史だと思いますが、その過程での廃線と云うのも多々あるようですね。天理軽便鉄道(新法隆寺ー天理)の平端以西も、かすかな痕跡がありそうです。10年ほど、職場がその近辺だったもので、それらしき話しを耳にしたことがありました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/589905/58620354

この記事へのトラックバック一覧です: 「丹波橋駅」 に相互乗入の痕跡:

« 宇治の秋色 | トップページ | 茨城空港も一生懸命・・・ »

無料ブログはココログ
フォト
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック