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2013年11月 8日 (金)

動乱の京を避けて隠棲した「尸陀寺」跡 <一休禅師の足跡 ⑨>

 
 今でこそ、大阪府高槻市と京都市との境の山間部ですが、室町時代には、深山幽谷の趣きであったろう、譲羽(ゆずりは)山中に、一休禅師が隠棲したことがあるそうです。

 作家、水上勉氏が、その著書『一休』に著わしているように、山中独居と云うのは、一休禅師に一番似合わないことでしょうな。一年も経たない内に京に戻ってしまうのですが、その譲羽隠棲のときに創設したと云う 「尸陀寺(しだじ)」 の跡を訪ねてみました。




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  JR京都線の高槻駅北口から、一時間に一本ほど出る、田能方面行きの高槻市営バスは、住宅地の斜面を駆け上がり、摂津峡上の口バス停で低い峠を越えます。新名神道の工事現場が眼前に広がる原大橋バス停を過ぎると “山間運賃” が適用されるようになり、駅前から30分ほどで出灰(いずりは)バス停に至ります。

 

 そこから芥川の支流に沿った一車線道路を2kmほど歩いて、旧せせらぎの里を過ぎると、間もなくポンポン山への登山口(三叉路)です。小さな橋を渡り、民家の横を進んで登りに掛かったら、間もなく左手に、「尸陀寺跡」へ入る枝道が見えてきます。








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 一休禅師が住まいしたのは、京・近江の堅田・泉州の堺・山城の田辺だと言われています。決して山中に独居したことはなく、民衆の息吹のあった、堅田や堺に住み、京にも出入りしていたのです。
 そんな一休禅師が、例外的に、民衆の坩堝(るつぼ)でない辺境 「譲羽(ゆずりは)山」に入ったのは49歳のことだそうです。戦乱の京を避けたかったのでしょうか。




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 「尸陀寺」は、初め、一休禅師が民家を借りて移り住み、その後に創建したと伝えられています。一時は多くの修行者が集まったかに記す人もいますが定かではなく、今は石碑しか残っていません。

 



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  尸陀寺は、この地点より200m上の方にあったとのことで、今の石碑は、昭和37年に、地元自治会が建立したものだそうです。






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                 (クリックすると拡大できます)





  丹波と山城の国境の山中、現在の高槻から亀岡へ抜ける府道から谷川をさかのぼった寒村「出灰(いずりは)」です。このあたり、川が府境になっていて、大阪府高槻市出灰の対岸は、京都市大原野出灰町です。

 

 

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 10年も以前に訪れたときは、上の写真の民家の下の方にも家が建っていたように記憶しています。今回、その名残りらしきものが放置されているのを見つけました。



 


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  この風景、私には、“丹波” の風情を感じさせてくれます。

(出灰地区は、大阪府高槻市に編入される前は、京都府南桑田郡樫田村だったそうです)




  

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  さて、来しなに見掛けた 旧せせらぎの里ですが、今は、「せせらぎの里  今城文化民芸館」にリニューアルされ、今城窯のギャラリーと陶芸教室のほか、ピザや焼き菓子を焼く窯もあるカフェになっていました。


  



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  今城窯で作られた陶器でコーヒーをいただきました。


 


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 当館の入口は、草ぼうぼう。今城焼の作品が並んだ棚の右手奥に、上り階段がありました。
 まぁ、これも “風情” なんでしょうな。







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  そう云えば、高槻市内には今城塚(いましろづか)古墳があり、埴輪がたくさん出土したんだそうで、その近くの “はにわ工場” と今城窯の作品とが、何か、似てるように思いましたが、聞きそびれました。



       参考文献     水上勉著 『一休』 (昭和55年、中央公論社刊)


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コメント

神社仏閣や庵などを時々訪ねます。
由緒などを確認しながら、拝観させていただき感心しています。

庭に、いろいろな花を植えられているのですね。季節の変化を
身近に感じられるのはすてきですね、

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