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2013年9月13日 (金)

湖東にも一休さん 〈一休禅師の足跡 ⑦ 〉




 さて、瀬田の唐橋あたりで、入水しそうになった一休禅師でしたが、新たな師を、湖国は堅田に求め、華叟宗曇(かそうそうどん)の許を訪ねます。

 

 後年、一休さんが足跡を残した「堺」といい、琵琶湖西岸の「堅田」といい、自治都市の観があった街です。どうも、一休さんは、そうした自由の気配に満ちた町衆と波長が合ったようです。その、堅田のの話しは、ちょっとさておいて、堅田の対岸、琵琶湖東岸の守山の地にも、一休禅師の足跡がありました。


 



  





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 JR守山駅から、2時間に1本出る、小浜・あやめ浜方面行のバスに乗ると、街中をクネクネと曲がりながら、20分ほどで矢島町に至ります。こんもり茂った武道天神社の杜をめざして村中へ入ると、突き当りが「少林寺」です。
  


  


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  ・・・と思ったら、こちらは勝手口でした。でも中に入ってゆくと、苔むした庭園の奥に、大きな銀木犀(ぎんもくせい)が目につきます。樹齢600年、一休禅師お手植えと説明板が掛かっていました。



 

   

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  境内には、かわいらしい一休さんの石像(ちょっとメタボ?)があり、その隣には、「一休さんの雷井戸」と云う井戸の跡もありました。なんでも、弟子が開いた少林寺で過ごしていたある夏の日、少林寺の井戸に雷が落ちたのを見た一休さんが、大急ぎで井戸にフタをして雷を封じ込めたのだそうです。それ以来、矢島には、雷が落ちなくなったと伝えられています。
 



  



  


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  守山の地は、かの蓮如上人が活躍した地域です。一休禅師は、その蓮如とも交遊があったそうで、弟子が開いた少林寺に寄寓する機会があったのでしょうな。一休禅師の坐像があるのは、京田辺の酬恩庵と京都の真珠庵、そしてこの少林寺です。椅子に座った老相の一休禅師には、やはりと云うか、頭や口、顎には本物の髪が付けられているそうです。

  さらに、「一休和尚像板木」と云う木版印刷の版木も残されているとのことです。

  せやけど、禅師は、弟子を持たない主義やなかったかなぁ。






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  2時間に1本のバスが通う地域と云うのは、しかし、おっとりとしたところなんでしょうな。
私らの幼年期の田舎町そのままのような気がしました。





  
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