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2013年8月12日 (月)

一休さん、22歳の失意・・・一休禅師の足跡 ⑥

 また、「一休禅師の足跡」 歩きです。

  

 幼名 「千菊丸(せんぎくまる)」 が 6歳で出家して 「周建(しゅうけん)」と呼ばれ、17歳のとき、京の西山にあったと云うボロ寺、西金(さいこん)寺の謙翁宗為和尚(けんおうそういおしょう)の弟子となって、道号 「宗純(そうじゅん)」を賜っていた禅師にも、失意と苦悩のときがあったようです。
 すなわち、心酔していた謙翁和尚の入寂です。その衝撃に直面して虚空的になったか、底冷えする冬の都をさまよい歩き、清水寺に詣り、挙句、峠を越えて、石山観音(石山寺)に詣でて、7日間の参籠を済ませたそうです。師の冥福を祈るとともに、自らの今生をいかにすべきかに想いを馳せたのかも知れまへんな。
 

 しかし、その直後、心身ともに困憊した宗純禅師は、瀬田橋を過ぎたあたりで、にわかに、死にたくなって、水中に身を投じようとしたと云うのです。22歳の初冬のことと云います。

 

  と云うわけで、まずは、観音様の「石山寺」です。

京阪電車「京津線」で浜大津駅に出て、「石山坂本線」に乗り換えると、15分ほどで、石山寺駅に到着します。

  

  

  


  

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  並行する道路を挟んで、駅のすぐ横には、琵琶湖から流れ出したばかりの瀬田川。

  
  

 

   
  

    

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  石山寺は、瀬田川と道路(422号線)に沿った境内参道を1kmほど進んだ先です。


 

 

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 境内の奇石群は、硅灰石からできたもので、石山の名前の由来になった天然記念物です。

 

 

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  千日会のお供えでしょうな。きれいな色の菓子の飾り(?)が用意されていました。

 

 

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 石山寺と云えば、紫式部。本堂の「源氏の間」には、執筆中の姿だと云う、こんな像も・・・。

 

 

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 山頂部の月見亭横に臨むと、左奥にかすむ、琵琶湖からの瀬田川が眼下に広がります。
    

 

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  ちょっと目についた、こんなものを撮りながら、山を下ると、いよいよ、本題です。

 

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  禅師が、入水しようと思い詰めたのは、何故だったのか?

禅師自らが書き残したものはなく、村芝居の作者や多くの史家も、考えあぐねているそうです。

  

 

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 幸いかな、宗純禅師は、すんでのところで、助けられたんだそうです。

 吾が児の不安焦燥の心中を察して、あとを追うてきた母の使者によって、水に飛び込もうとする寸前に、うしろから身を引きとめられて救われたか、投身しようとした刹那、母の面影が目にうかんで、なし得なかったか。

 いずれにせよ、嵯峨野の母のもとに帰り、やがて、心の落ち着きを取り戻し、良き師を求めて再出発することになるわけです。 (そこらへんは、稿を改めて、また別の機会に) 

 

                                                            参道の畳屋さんの お気遣いがうれしい。

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 さて、宗純禅師が身を投じようとしたと云う場所を詮索してみたくなりました。

 ものの本によると、瀬田の唐橋をを過ぎたあたりとか、唐橋を渡って、琵琶湖の水が足許に寄せてくるあたり、とか、あるいは、のちの大津城のあたりとか、色々です。尤も、大津城跡と云うのは、浜大津駅の近くであり、ちょっと遠いので、多分、違ってると思っています。

  それで、石山寺から瀬田の唐橋まで歩いてみました。(ゆっくりで、30分ぐらいか)


  

 

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 左図は琵琶湖大津志賀観光協議会発行の「時間旅行」パンフレットより




   

 

 

 

 

 

 

 

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  瀬田の唐橋に着きました。

 

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  瀬田の唐橋を過ぎたあたりと云うと、こんな感じです。奥の瀬田川大橋の先は、琵琶湖で、右側は、川中島になっています。

 

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  瀬田の唐橋を渡ってしまうと、建部(たけべ)大社に向かってしまいます。

  

    

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  瀬田の唐橋は、一つの橋ではなく、川中島を挟んで二橋が連なっています。昔もそうなら、石山寺から来て、瀬田の唐橋の手前部分の橋を渡ると、この川中島に入れるのです。
   

 

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  どうでもいいようなことですが、未だ “一休” の名を得ていない宗純禅師が、失意の果てに、意を決して、水中に身を投じようとしたのは、このあたりのことではないかと思いましたな。なんとなくでっけど・・・。

  (川中島の先端部から川下側の唐橋を望む)

 

  

  

  

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  上の写真の位置を、対岸から見ると・・・。奥は琵琶湖です。

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  川中島の、唐橋のたもとに、年代物の水位を測る自動機器が置かれていました。

この場所の水位基準高と、大阪城天守閣の高さとがほぼ同じだと云うことです。へぇ~。

   

 

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   参考文献 「一休」 水上勉著 (昭和55年/中央公論社刊)

                  「一休さんと堅田」 (平成17年/一休さんのくにプロジェクト委員会刊)

 

 

                            ポチッとよろしく!

 

 

 

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