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2013年6月 7日 (金)

大軌(近鉄)の執念、“信貴山への近道” も今は昔・・・

  大阪と奈良を隔てる生駒山系の南端に位置する霊場 信貴山(しぎさん)は、昭和30年台ぐらいまで、割りとメジャーな行楽地の一つでありました。そんな、毘沙門天王の総本山、信貴山 朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)へお参りするには、奈良側の「信貴山下」駅からケーブルカーでのぼるのが一般的でした。「信貴山下」駅は、信貴生駒電鉄の駅で、近鉄(近畿日本鉄道)の生駒駅か、国鉄(当時)「王寺」駅から、信貴生駒電鉄に乗り継いで行ったものです。

  そう云えば、昭和47年から10年間も、信貴山温泉郷での泊り込み忘年会の幹事をやらされたのを思い出しました。あの頃は、電化されて間もない頃の国鉄関西本線で行きましたなぁ。

 

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  昭和32年に、信貴山口~高安山間の鋼索線(ケーブルカー)が復旧、上本町~信貴山口間の直通準急も再開、信貴山西ルートが “大阪・信貴山近道電車” として復活されると、信貴生駒電鉄の東ルートとともに、東西二ルートで信貴山へ行けるようになったのです。

 しかし、それも、信貴生駒電鉄が近鉄に併合された後の、昭和58(1983)年に東ルートのケーブルカーが廃止(バスに置換)されました。
 今では、西ルートのケーブルカーも40分毎の運行となっていますし、山上鉄道線跡(信貴生駒スカイラインの一部になっている)をバスが連絡しています。この辺に意地を感じますなぁ。

 

 因みに、鋼索線(ケーブル)では、PiTaPa等が使えません。PiTaPa等で来たら、一旦自動改札を出て、改めてケーブルの切符(片道540円)を買う必要があります。ま、しゃあないんでしょうな。(正月以外は閑散なんやろな)

 

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 もっとも、信貴山口駅~河内山本駅間の信貴線自体は、山麓のベッドタウン化に伴って生活線としての重要性を増し、2両編成ながら、15~20分間隔での運行となっています。なお今のところ、ワンマンカーではなく、車掌つきです。

 

  信貴山口駅の駅前風景です。

 

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 信貴線の終点、「信貴山口」駅に入る直前です。

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 この辺り、近鉄の全路線中最大の急勾配(40パーミル)なんだそうです。

 

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  信貴線が開通したのは、私も知らない戦前、昭和5(1930)年のことですが、その少し前の大正11(1922)年に、信貴生駒電鉄が生駒駅から信貴山下駅⇔鋼索線(東ケーブル)で信貴山上駅への東ルートを開通させています。

 しかし、そのルートは、近鉄(当時は大軌)にとっては面白くない訳で、大阪から信貴山への近道ルートをつくって、信貴山へお参りする人を奪取しようと考えたようです。8年後には、信貴線(河内山本~信貴山口)⇔鋼索線(西ケーブル)⇔山上鉄道線(高安山~信貴山門)の西ルートが開通、「西から登る、大阪・信貴山近道電車」が誕生しています。



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                     (クリックすれば拡大出来ます)

  
        

 

 

 当時、信貴生駒電鉄は、京阪電鉄系の鉄道で、生駒から北へ枚方まで延伸する計画もあったとか(その一部は、現在の京阪交野線)。近鉄前身の大軌(大阪電気軌道)としては、面白いはずもなく、河内山本~信貴山口間に信貴線、信貴山口~高安山間にはケーブルを敷設した上、高安山~信貴山門間の山上鉄道線を一般鉄道線(狭軌)、それも、複線(単線並列で、それぞれの線で行ったり来たり)で西ルートを開通させたんだそうです。思えば、すっごいリキが入っていたんですなぁ。

 終戦の少し前に、不要不急線として休止(その後、山上線は廃止)されるまで、この西ルートがメインルートとなったのは当然でしょうね。このルートで、年間40万人を運んでいたそうです。これによって、東ルートの信貴生駒電鉄は大打撃を受け、経営的に、大軌の傘下に入ったんやそうです。こりゃ、大軌の執念と云うほかありまへん。

 

  
  

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 信貴線の途中駅は 「服部川」駅のみ。周辺は住宅地になっていて、かなりの乗降客があるとのこと。

 

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  信貴線は、河内山本駅を発車すると、すぐに左にカーブして、大阪線と別れます。
    

 

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 信貴線の起点、「河内山本」駅に到着直後の信貴線折り返し電車。

 以前、一時期、上本町駅~信貴山口駅間の直通準急が走っていたこともありますが、今は、信貴線内での折り返しのみになっています。

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 今回は、撮影順序と逆順に並べてみました。 

 参考・・・『近畿日本鉄道 最近20年のあゆみ』 昭和55年刊

       近畿日本鉄道HP 「近鉄資料館」 路線の履歴書

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コメント

信貴山をめぐって壮絶な歴史があったのですね。面白く読ませていただきました。四十五年程前に車で一度だけ行ったことがありますが、秋にこのブログを思い出しながら電車で行こうと思いました。

南太郎様 いつも見て頂いて有り難うございます。
信貴山への鉄道ご案内有り難うございます。兄が東大阪にいますので
一度登りたいと考えていました。機会があるといいなと思っています。

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