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2013年4月 4日 (木)

「一休禅師」 の足跡② 一休寺 「酬恩庵」

 

 「一休禅師」のことを語るなら、その終焉の地をスタートにすべきだったかも知れません。
それは、江戸時代の創作、『一休噺(はなし)』の主人公である“一休さん”と、戦乱の室町時代を生きた
「一休禅師」とのギャップを“補正”することが必要だと思うからです。


 ・・・と云う訳で、先月、京都府京田辺市薪(たきぎ)にある一休寺「酬恩庵」を約20年ぶりに訪ねました。
かつて、片町線の長尾駅から先は、40分に一本、2両編成のディーゼルカーが走っていましたが、今は、
7両編成の快速電車が15分おきに走っていて、長尾駅と大住駅の間に松井山手駅が新設されていました。 

 “一休寺”と呼ばれる寺院は3ヵ寺ありますが、「酬恩庵」は、何と云っても、「一休禅師」が開祖であり、
その墓所もありますので、ここが“元祖”に違いありません。よって、今回だけは、タイトルを少し変更しています。


 
 「一休禅師」の頂相(肖像)を描いたものは沢山あるらしいのですが、「酬恩庵」には重要文化財の頂相(20年前にはなかった宝物殿で特別展示中でした)と木坐像(方丈に安置)もあり、禅師の容貌がよくわかります。

  
 

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  これ、JR京田辺駅前にある、若き一休像です。
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  酬恩庵境内にも、駅前のとほぼ同じポーズの像がありますが、参拝の方々に撫でられてか、頭が光っていました。

 

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  境内にある、壮年期の「一休禅師」の石像です。ちょっと、昔の歌手、故・村田英雄に似た感じもしますが、例の“一休さん”のイメージとはギャップがありますね。


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 下は、一休寺「酬恩庵」の門前にある案内板に描かれた「一休禅師」の像です。
これ、寺宝の重要文化財「一休禅師頂相」のイメージを模写しています。つまり、これが禅師の“素顔”と云えるのではないでしょうか。

 
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              「一休禅師」88歳の木坐像 (方丈に安置)
  

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  まぁここまでで、江戸時代の創作、『一休噺』の“一休さん”と、室町時代を生きた「一休禅師」とは別だと云うことが、シッカリ腹落ちしたかと思います。

 
 
  ところで、「一休禅師」、すなわち、一休宗純禅師は、第百代 後小松天皇のご落胤とされています。それゆえ、墓所(御廟所)は宮内庁の管轄になっているのです。(ちょっと以外)

 この墓所は、酬恩庵の拝観受付を入るとすぐのところにあります。



 

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  ここ、酬恩庵にて、「一休禅師」88歳の生涯を閉じられたのですが、その臨終の床の脇には、あの、年の離れた盲目の美女、森(しん)侍者が傍にいて涙を流したと云うことです。


  「一休禅師」が詠んだと云う道歌に、こんなのがあるそうです・・・。風狂の破戒僧ならではでしょうか。

   ~ 色の世界に色なき人は、金仏木仏石ほとけ ~





 それでは、一休寺「酬恩庵」で、私が好きな一角を見てください。


 
 


 

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  「一休禅師」考案の『一休寺納豆』です。試食できますが、ずいぶん塩辛く、京都・大徳寺門前で売られている『大徳寺納豆』と同様のものだと思います。試食していたら、お茶も頂いてしまいました。

   

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  また、「一休禅師」は、大徳寺の住職にも任命されたけど、“居成”(いなり)と云って、籍を置いただけで、住持しなかったそうです。それゆえ、これを一休さんの“通勤”と呼ぶ向きもあるようですが、京田辺の一休寺「酬恩庵」と京の大徳寺とは、25kmぐらいの距離がありますので、まあ、今で云う通勤ではないものの、時々は行き来されていたと云うことなんでしょう。



 

   

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 「酬恩庵」の周辺は、かつては田畑が広がっていましたが、今や、小洒落たベッドタウンとなっていて、カメラを構えていると、元気な少年達が「格好よく撮ってやぁ」と声を掛けてきました。

   
 
 

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 帰途、JR京田辺駅への道で、ふと振り返ると、交通標語の横断幕にも、“一休さん”が描かれていました。因みに、横断幕が掲げられている部分は水路で、“天井川”になっているのです。


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■ 一休寺「酬恩庵」へは、JR片町線(愛称=学研都市線)京田辺駅、または近鉄京都線新田辺駅から西北方向へ徒歩15~20分ぐらいです。広い駐車場もありました。




■ このシリーズの出典は、昭和53年改版の 水上勉 著『一休』 (中央公論社刊)です。



                            
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